水表現とジェンダー

 先日、水の表現を始めた作家の作品をテーマに議論とインタビューをしたときに、女性から見た水の表現についての話が出たのだけれど、うまく聞き取れなかった部分があり、反省している。
 子宮的な世界観のことを指していたと思うのだけれど、自分にはそれを思い出すことが抜け落ちているな、と感じた。
 「女性からみた水」と言われたのでわからなかったのだけれど、近代文学伊勢神宮神道密教など、日本の表現にこの世界観は多く散見される。実のところ、男性でそれを指摘するひとのほうが多いようにも思われる。うまく繋げて理解できるようにしたいところ。 高野山で見た曼荼羅の藍に金銀の筆致や伊勢神宮で見た祭礼を思い出そうとしている。


 関係ないですが、いま進めているプロジェクトに女性の作家が加わるようで嬉しく思っています。あらためて女性の作家や執筆者に惹かれていて、その魅力を伝えることがここ数年の念願だったので。(ある女性の研究者が女性の作品が好き!ととても情熱的に語っていたので、その元気で純粋な感じに感動して影響を受けているのだと思う。)