「花はどこへいった」

 10月23日、金曜日。

 旭川市公会堂で「花はどこへいった」というドキュメンタリーフィルムを見た。

 映画は、ベトナム戦争時代の枯葉剤、エイジェント・オレンジの被害と現状が、この映画が初の長編になる坂田雅子さんの視点から語られるというもの。70年に京都で出会ったグレッグ・デイヴィスさんと坂田さん。30余年をともにし、急死した夫の死への疑問を抱いた坂田さんは、ベトナム戦争の兵役時代に浴びた枯葉剤の影響を示唆され、ベトナムへと赴いた。彼女がそこで目にしたのは、後遺症を抱え早逝してゆく人たち、貧困の中で何人もの障害児の介護に追われる家族がいたるところにいる現実だった。

 ベトナム帰還兵であるグレッグさんを夫に持った坂田さんのやむにやまれないような宿命的な部分から、ベトナムの問題が説き起こされていることで、とても共感できる作品なっている。坂田さんが映画を撮り始めた動機も、夫の死とその原因を知りたい、そして、知ってもらいたいということだったという。
 そうはいっても、ベトナム戦争という政治的な問題を夫の死とその後の空虚な思いから映画製作へ至った部分をメインストーリーにするのには抵抗があり、1度目の取材では枯葉剤とその被害を中心に取材した。しかし、喪失の悲しみに深く関わる部分を作品にいれることにし、2度目の取材をベトナムの日常生活を組み入れて撮影することで、不思議にスルスルと筋書きが流れていくようになったということだった。
 確かに、この映画を観ていて心うたれるのは、障害児をもつ親や戦争の際の後遺症に悩む親たちが、自分たちなりのしかたで貧困や介護をこなしたり、子供たちも足が使えないながらも別な作法を身につけて日常生活を送っているしなやかさや、お互いに接するやさしさや絆を感じられる場面が随所に見られるところだ。これは、彼女ならではの部分が大きいように思われる。

 それにしても、私は映画を観ているあいだ、あまりに被害と貧困が悲惨すぎるので、ベトナムが戦争に勝利したことをすっかり忘れていた。会場から帰る道すがら、それをやっと思い出した。映画のエピソードのなかのベトナム人は、ベトナムを再び訪れたアメリカ帰還兵に話しかけて、戦時中に敵同士だったとわかった際に「ようこそ」と歓待したということだけれど、どうしてそんなことが出来たのだろう…?と問い、「ベトナムが勝利したからだよ」という返事を聞いたときに初めて、勝利というものはこのような形で人を尊くしたり蝕んだりすることがあるのだと感じたのだった。

http://www.cine.co.jp/hana-doko/
http://icarusfilms.com/new2008/agen.html