【レクチャー報告】5月1日、CAMPのトークイベント

5月1日、CAMPのトークイベントに行ってきました。かなり遅刻して行ったので、後半のみのレポートです。

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「いち編集者が見た美術界のこと、あれこれ」

細川英一(『アートコレクター』編集者)

ゲスト:
天明屋尚(ネオ日本画家)
ゆりん(タレント・声優)

20:00〜22:00 Otto Mainzheim Gallery

http://ca-mp.blogspot.com/2009/04/talk-0501.html

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○作品が売れること

 天明屋氏が、作品が売れることについて、意外にも「展覧会中に作品が売れるのは寂しい、自分の血や肉を売っているようなものだから。でもそれもまた、嬉しいのは、子供が巣立っていく気分で」とおっしゃっていたのが印象的。もうちょっとドライに作っているのかなと思っていたのですが、なるほど、作家魂。

 すぐにトーク後半に入って、ネオ日本画の歴史的説明を経て、天明屋氏の作品価格を軸にしてオークションでの現代アートバブルについて語る。

○ネオ日本画について

 日本画についての話題では、日本画とは何かという歴史的説明から、天明屋氏がネオ日本画という言葉の生みの親であるという紹介やこの語の解釈のブレについてなど、まじめな議論がなされる。
明治期に、当時の日本にはなかった油絵というものが移入された際、岡倉天心フェノロサが岩絵の具を膠を使って画面に定着させる日本古来の画材で描かれた絵のことを日本画と定義、この時点では描く素材(メディウム…膠か油かなど)によって分けられていたのだが、それだけではないとまず確認。
 その後に菱田春草が「日本人が描くのが日本画だ」としたことを受け、天明屋氏は、自分のようにたとえアクリル絵の具を使用しているにしても、日本的主題を描くものが日本画だと主張し「ネオ日本画」という言葉を生んだという。油絵の具で描かれており、日本画的な輪郭線も使用されていないのにもかかわらず、日本画の代表作と考えられている黒田清輝の「湖畔」のような存在が、ネオ日本画であり日本的主題に「日本画」の根拠を見出しているとした。ゆりんさんが何で描かれているか、見ているほうにはわからない、和の要素があれば、それを日本画として見てしまう、と受ける。
 そこからいわゆる旧来の日本画、すなわち「ザ・日本画」の価格の話に。ザ・日本画の代表作家の面々がデパートで展示していることから、自分もデパートでも展示してみたい…という発言を天明屋氏がポロリ。(素敵な感性。ぜひやってみてほしい。) こんなふうに「ザ・日本画」の画伯など「誰に喧嘩を売っているか」また、「どのように売るか」ということを明確にして、話していた点が、痛快だった。また、そのスタンスについて、正面切って戦いを挑むというわけではなく「ピンポンダッシュしたいですね」とウィットを利かせたところが「現代アート」っぽい印象でした。

ガンダム展出品作

 また、ガンダム展に出品した作品にも話は及ぶ。これは、ガンダムを腰から龍が巻きついた雄々しい姿で描くことで、オタクがあまり好まない「ヤンキーっぽさ」を出した点で、オタクに喧嘩を売った作品だという。ここで天明屋氏が「2ちゃんねるの1000件の容量があるスレッドが、一日の間にガンダム作品の悪口で埋まってしまってへこみました」と告げると、ゆりんさんが白熱のフォロー。ガンダムがかっこ悪いと悪口を言う裏のアンビバレントなオタク男子心を分析しつつ弁護した。男の子には、車やメカなどなど自分で改造して楽しみたい。なかでもガンダムはそのトップ、ガンダムサマサマですよ、それをあんなにも自由自在にかっこよく改造してしまった天明屋氏に対する羨望の裏返しが含まれているに違いない!との力説だった。

○オークション

 トークのなかでも指摘されたが、オークションで高値が付くというというのは、基本的には作家の預かり知らぬところの話。というのも、オークションに出品される品物というのは、いったん人の手に渡ったものが手放され、中古高級品の市場―アンティーク家具や中古車のように…セカンダリーマーケットという呼称もある。―でのことになる。つまり、コレクターが作家から買った新品の作品を手放す際、作家にそのことを知られるのは気まずい。天明屋氏も「嫁に出した娘が売られてホステスになるようなもの」と悲しげ。「でもどうせなら高値で売られてほしい…」とまた面白発言を付け加える。

 その後も各作品のスライドを見ながらオークション出品時の話などあったが、天明屋氏が一貫して戦う相手を明確にしており、そのことと作品価格や発表の場と絡めた話を聞くと、やはり作品が高く売れるということはある種の作家にとっては、健全に戦う力になるということを感じた。

(1983文字)