上田和彦展「Investiture Controversy」

展示は、吉祥寺A-Thingsにて7月19日(日)まで。


 上田和彦は、作品を描くときには縦のまま向きを変えないという。ある建築家が彼の絵を見て「室内空間みたいだ」といったことが印象的だ。長い筆触は、一定の角度をつけて垂直に立てられた骨組としても見立てられるかもしれない。さまざまな色や触感で描かれた長い筆触。その骨組は、花を傾けて活けるような即興によって空間性をはらみつつ積み重ねられてゆく。3枚の≪ドローイング≫においても、作家は右方へと延びたストロークに対して左へのストロークを挿すように、現状から次の一手を導くことで構造体を編みあげている。A-thingsの出品作は、この構造体の重みを支える下辺が、傾いたり弧を描いたりして踊るように描かれたり、奥を支える面が背景に置かれたことで安定したリズムのある絵画平面に仕上げられている。
 文字のなかで互いを支えあう一画一画のように因果によって導かれつつも、単一のイメージや記号に還元されないように配慮して置かれた筆跡は、ときに、シャープな力と運動の感覚によって人を惹きつける。たとえば白いストロークが素早く力強く横断する。その流れによって生じた運動するヴィジョンが、縦断するストロークにぶつかって、堰とめられる。二つの軌道は、ぶつかったそのまま画面に定着している。あるいは、ゆっくりとした重たい衝突の一歩手前で、凍結されている。そこに宿る力の拮抗。繋がらないことで漲る緊張感。触れ合い、接する部分でのデリケートな力加減は、「組立」展の出品作においても追及されており、細部の面白さを生みだしていた。こうした筆触の断続を眼で追う時、鑑賞者は、何物にも還元されえない画面上の出来事に誘い込まれるのである。
 サムホールサイズの小品のいくつかは、画面上に繰り返し引かれた斜線が、流れ星のように速い動きをイメージさせる。こうした軌跡が、輝く軌道のヴィジョンとしても読まれるようなときには、長い筆触がネオンの軌跡へと変容し、短い筆触は印象派の筆触分割の光の充満として発光し始めるように思われる。色は運動から遊離し、あるいはネオンとして運動と一体化し、空間に充溢感をもたらしている。
 展覧会名の「叙任権闘争」の正確な意味はわからない。しかし、聖なる/俗なるものあるいは可視/不可視の世界を分かつ政教分離に先立つ未分化は、絵画において、対象がいまだその所属が分らぬまま、闘争状態で見られる充実した時間にも似ている。